死刑を願う気持ちは偏見である。

加害者・長谷川敏彦君が死刑執行されて、今年で13年目なろうとしている。彼は1983年に保険金目的で私の弟を殺害した。事件は30年余りたった今も、私から平穏な生活を奪っている。私は一遺族として、何度も長谷川君の死刑延期の嘆願した。2001年には法務大臣にも会って上申書を渡したが、その年の暮れに死刑の執行はなされた。私の意見や感情は全く無視されてしまったのである。事件は弟を奪い、私の日常をも崩壊させた。「すべて長谷川君のせいだ!」と憎しみが募った。しかし、事件から10年たった頃から「自分は死刑制度の事をもっと知るべき」だと思い始めていた。彼に直接会って、厳しく問いただしたい気持ちも深まった。初めて面会した時、彼は「申し訳ございませんでした」と頭を何度もさげた。謝罪の言葉は手紙でも読んでいましたが、対面して相手の姿・顔を観ながらの言葉を聞くのは何処となく重みを感じた。謝罪し償おうとしている本人を目前にして私は初めて、安堵し癒されるような感覚を覚えた。赦したのではない。だが面会する事で、自分の心が解放される端緒をようやくつかんだ気がした。殺人をしたあと、人はどのような償いができるのは、私にも分からない。ただ彼が償いの意味で絵を描き続けていると知った時、私はその思いを信じたいと思った。どうしたら良いのかは分からないからこそ、その人なりに考え実践する償いが意味を持つと考えている。生きてこそ償いは可能ではないか。死刑はあありにも短絡的な解決策なのではないか。少なくとも私は、死刑が執行された事で心が楽になるどころか、再生への足がかりを失った気がする。遺族には「犯人」と面会する権利を認めるべきだろう。だが、現状では、死刑が確定すると遺族は事実上、面会は出来なくなってしまう。無罪推定の原則に照らせば、被告を犯人とみなせるのは確定後でしか無いのである。また、法廷は被告が本音を話せる場ではない。遺族に面会の道を開くような制度改変が必要だと思う。街頭で死刑反対の発言していると、「被害者感情を考えたことがあるのか!」と云って来る人がいる。被害者には、犯人の死刑を願うような生き方しか許されないのだろうか。「肉親を殺した相手をなぜ君付けで呼ぶのか?」と聞かれたこともある。「あなたは私以上に彼を憎んでいるのですか」と尋ねたい気がします。「被害者の思い」を勝手に推し量って「だから重罰化に賛成です」と同情されるより、「個々の被害者はどう思っているのか」と耳を傾けてくれる方が、私は嬉しい。

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被害者である原田さんに「被害者感情を考えたことがあるのか」なんて笑止千万ですね。「あなたは私以上に犯人を憎んでいるのですか」---この言葉を突きつけられた街頭の人は返す言葉に詰まったでしょうが、死刑に賛成する人はどんな言葉を遣ってでも死刑を存続させたいものなんです。それを翻させる言葉と手段を私は持ててない。悔しい。いったいどうすればいいのか、この国から死刑をなくすには。
プロフィール

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愛知県出身 1983年愛知県「半田保険金殺人事件」で末弟を殺され、事件後十年目、加害者と被害者遺族として異例の面会に臨む。以後、彼の死刑停止および面会継続を求め活動を開始、現在は死刑制度に深い関心を寄せながら犯罪被害者の救済支援および確定死刑囚との面会の自由を主張し講演活動など行っている。2010年脳梗塞を患い,
言語・右半身を失い活動を一時休止に追い込まれましたが2013年に復活,現在は『宮崎事件』、 冤罪と云われる『福岡事件』に取り組んでいる。「望むのは死刑ですか…、」シネマトークに参加する。

著書に「弟を殺した彼と、僕」ポプラ社、2004年8月・・など、
ー被害者と加害者との出会い考える会ー
「Ocean」を設立。

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