死刑制度は被害者のために存していない、

死刑廃止論に対する、根強い批判の一つに「被害者感情」の問題があります。
無残にも殺害された人の遺族やその周囲の人々、あるいは社会一般の人々の犯人を憎む感情は
人間の自然な感情であり、その事自体は決して否定すべきものではないと思います。
しかし その被害感情がいくら自然な感情であったとしても ぞの事が果たして死刑を正当化するものなんでしょうか?
被害者は犯人が速やかに逮捕され裁判でもって最も重い刑罰が言い渡され そして的確に執行される事で 正義の実現を見る思いに至るのです。何も最も重い刑罰が死刑である必然性は無いのです。
この国に死刑制度が存するから 被害者も死刑を願う事ではないでしょうか?
もし、「被害者感情」を死刑のよりどころにするのであれば 死刑の執行への立会いや遺族の手による死刑の執行が許される事になりますが、それを おそらく今日の社会では認めないでしょう。
この点においても 本来 死刑制度は被害者の為には存していないでしょう。
更に刑罰を被害者・国民の手に近づけると言うのであれば もっと合理的な刑罰制度べきであろう。
死刑制度は もうずうっと前から 被害者感情に何も応えていないのです。
犯罪は社会的・文化的所産だと言われています。
犯罪に対しては国家・社会も応分の責任を負担しなければなりません。
国家・社会が被害者感情にちゃっかりと便乗し 自らの責任を棚上げしたままで死刑を求め それを執行する事は 犯罪よりも より「犯罪的」ではないでしょうか?
国家・社会そして私たちは自らの責任を隠蔽する為に被害者の感情を利用してはならないと思います。

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プロフィール

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愛知県出身 1983年愛知県「半田保険金殺人事件」で末弟を殺され、事件後十年目、加害者と被害者遺族として異例の面会に臨む。以後、彼の死刑停止および面会継続を求め活動を開始、現在は死刑制度に深い関心を寄せながら犯罪被害者の救済支援および確定死刑囚との面会の自由を主張し講演活動など行っている。2010年脳梗塞を患い,
言語・右半身を失い活動を一時休止に追い込まれましたが2013年に復活,現在は『宮崎事件』、 冤罪と云われる『福岡事件』に取り組んでいる。「望むのは死刑ですか…、」シネマトークに参加する。

著書に「弟を殺した彼と、僕」ポプラ社、2004年8月・・など、
ー被害者と加害者との出会い考える会ー
「Ocean」を設立。

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