死刑制度が奪っているものとは・・、

犯罪被害者給付金制度と云うがある。しかしこの制度の充実については、国の対応は遅く、本当に機能を果たすものになるには時間がかかりそうです。
一昨日(20日)、昨日(21日)、東京・早稲田大学で行われた死刑制度をテーマに『刑事制度について学び、考え、審議する』と云う審議型意識調査に参加して来ました。
ここでは今の死刑制度が奪っているものとは・・・、発言して来ました。
この様な大規模な、そしていつものと違うタイプの会に出席出来た事は光栄のいたりでした。
改めて、オックスフォード大学・早稲田大学の主催者に感謝を申し上げたいと思っています。
それに、イギリス・ドイツ・ノルウェイ・スイスの外務省・EU・ダイワファンデーションにも、
現在、被害者遺族への給付金は500万円程度で欧米などに比べるとかなり低い額です。
しかも、申請をしなければ、支払は無いので、制度の存在さえ知らない被害者や家族は貰えません。
拘置所での面会についても、面会は法律で禁止されている訳でもなく、拘置所長の裁量権に任されています。
それを何とか打ち砕こうと思っているのですが・・・、
拘置所側は「法務省の許可が必要」と云う、法務省は「拘置所長の裁量権の問題だ」と云う、
なすり合いばかりである。
今の法律は「国が代わって加害者を殺してやるから、被害者は家でおとなしく悲しんで、遺影に向かっていれば良い」と
云っている様なもの・・・、今では被害者の人たちも、「良い被害者」「鋳型に嵌められた被害者」の様な雛形に嵌っておとなしくしているのでは無く、あちこちで声を挙げ始めています。
被害者の権利も加害者の人権も全てが国によって奪われています。
それが、死刑制度です。
日本の国が、何故これほどまでに死刑制度を堅持しているのか、いまある制度がどんなものなのか?
きっと、大きな問題も見えて来る筈です。

被害者の権利・・・、

僕は、死刑に関わるような犯罪の被害者が完全に救われる事はないと思っています。死んでしまった人が帰ってくる事は、決してないからです。
ただ、そんな中でも、被害者の人たちを精神的・物質的にケアする事は、やはり必要です。犯罪被害にあった人や家族に、国が給付金を支給す 「犯罪被害者給付金制度」 の充実を図るべきではないでしょうか。
又、僕は、死刑確定後の加害者との面会と云う、被害者の権利も主張しています。
被害者側の気持ちを封じ込めたまま加害者を死刑にしてしまえば二度と誤って貰う事も出来なくなり、虚しさだけが残ります。
僕は被害者の癒しは、加害者が謝る事からスタートするものだと考えています。
少なくともそこからスタートしなければ、解決の方向性が、見えてこないものだと・・・・、
難しいかも知れませんが、こういった被害者の権利を一つひとつ丹念に検討し加害者に対して、国に対して求めて行く事が被害者を癒しの方向に向かわせるのではないでしょうか?
今、我が国ではそういった機会がありません。
死刑では、癒しどころか、何も残らない、何も浮かばれないような気がしてならないのです。

明日から、上京して来ます。
早稲田大学において 「刑事制度について審議する」 と云う会に出席する為にです。
何年ぶりだろうなぁ~、

   『刑事制度について審議する』 早稲田大学 12月20日 9:30~、
                                   21日 10:15~、
        主催:オックスフォード大学、早稲田大学、
      助成団体:イギリス外務省、ドイツ外務省、ノルウェー外務省、スイス外務省、
              ダイワ・ファンデーション、EU,オックスフォード大学、

『特定秘密保護法』 施行に反対する。

民主主義の基本原理は、基本的人権の尊重から始まり、展開されています。
それはルソーの唱えた天賦人権論に基ずくものです。天賦人権論と訳された 「人は生まれながらに自由・平等の権利を有する」と云うものです。
この基本的人権を表す言葉に「モビリティ」と云うものがあります。
「移動する事ができる力」を意味する言葉です。具体的な内容として、一つには、身体的物理的に移動する事が出来ると云うものがあります。もう一つは精神的な移動する力の事です。全ての人びとに与えられたこの力が阻害される時、民主主義は崩壊し、暗黒の世となります。
私たちの国では、過去にかつてこの自由が抑圧される事態を招いた悪法がありました。1925年に公布された治安維持法です。これは国体の変革や国家体制の否認などを目的とする結社活動、個人的行為んい対する罰則を定めたものでした。
国家を転覆する危険な革命から社会の治安を守ろうする法律ならば良いものに思えるかも知れません。
しかし実際は社会の安寧、秩序を保つと云う名目でありながら、民衆の言論、思想信条を踏みにじるものとなりました。
この法律が政府により拡大解釈される事により、また1940年代に法そのものが改正(改悪)されることにより、国家にとって不都合な組織や人を弾圧する為の手段となってしまったのです。
国策や政府にとって都合の悪い主義主張など、全てがその対象とされてしまいました。
こうして社会を暗黒に陥れた天下の悪法として治安維持法とその運用の歴史は今日でも良く知られています。
今回、安倍政権が制定し、この12月に施行される『特定秘密保護法』は、国家権力による恣意的な運用によって
治安維持法の再来となる事が深刻に案じられている悪法です。
こうした歴史を繰り返さない為にも、国家にとって不都合な組織や人を弾圧するための手段に断固反対するものです。

大事なのは『人権』?それとも 『和』?

聖徳太子が17条憲法を制定した話しは有名な話ですが、当時の政治家や官僚に守るべき心得を示唆ものである。
その第一条に「和を以て貴しと為す」とある。
この「和の精神」は太子が帰依していた仏教と中国から伝来していた儒教の融合から生まれたです。
日本人は「和」をよりどころにしている民族なので、歴史の中でも秩序を乱した人に対しては、随分と重圧を加えて来ました。
「和」を乱した誰かを「悪い者」にしてしまわないと、それ以外の人が安堵出来ないのでしょう。
今の日本では、死刑制度に限らず、法律は誰の事も救ってはくれません。
被害者や加害者など、弱い立場の者が追い詰められて行くのです。
法律という「鎧」を着て、法律に守られているのは、私たちではなく、実は法務省のお役人など政府関係者なのです。
法律というものは国民を守る為にあるべきですが、今の法律のあり方は本来の目的から外れていると感じがします。
死刑制度も、それがある事で一番ホッとするのは本当は被害者でも国民でもなく、国の威圧力を誇示できるお役人では無いでしょうか、
さまざまな大義名分とは全く別の次元で、死刑制度は維持されているのです。
一方、世間の人たちも、「悪い事をした人ひとりが全部悪いのだ」と云う事すれば落ち着いてしまうと云う現状があります。
何か凶悪な事件が起きた時には「あんな奴は死刑にすれば良い」とか「死刑になってあたりまえ」などと無責任な発言する人さえいます。
その、裏には日本人独特の性質があるのではないかと思います。
その様な考え方の上にあぐらをかいていてはいけないと思います。
個人よりも「和」が重視され、和が人権を侵したり、人の命を奪ったりすると云う現実がある事を忘れてはならない。
それはとても恐ろしい事だと・・・、一人ひとりの権利や命について、もっと真剣考えていく必要があるとおもいます。
プロフィール

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愛知県出身 1983年愛知県「半田保険金殺人事件」で末弟を殺され、事件後十年目、加害者と被害者遺族として異例の面会に臨む。以後、彼の死刑停止および面会継続を求め活動を開始、現在は死刑制度に深い関心を寄せながら犯罪被害者の救済支援および確定死刑囚との面会の自由を主張し講演活動など行っている。2010年脳梗塞を患い,
言語・右半身を失い活動を一時休止に追い込まれましたが2013年に復活,現在は『宮崎事件』、 冤罪と云われる『福岡事件』に取り組んでいる。「望むのは死刑ですか…、」シネマトークに参加する。

著書に「弟を殺した彼と、僕」ポプラ社、2004年8月・・など、
ー被害者と加害者との出会い考える会ー
「Ocean」を設立。

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